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加藤治子 息子さんがいたら、、、|訃報| [芸能]

加藤治子さんが追い求めたものとは、、、


女優 加藤治子さんが今月2日、亡くなられました。

92歳でした。

加藤さんと言えば、「日本のお母さん女優」という
代名詞がピッタリな方でした。


そんな、加藤治子さんですが、その生涯は決して
恵まれた人生とは言えなかった様です。


治子さんの母親は?

治子さんの母親は愛人の子供を5人産んでいます。

全ての子供たちに父親はなく、全員女手一つで
育て上げ、62歳でこの世を去りました。

当時の母親を知る人は、口をそろえて、

「髪の毛ひとつ乱れる事もなくキレイに髪を結って、
きちっとした着物姿を崩した事がない人」




だったと言います。

なぜか、女優、加藤治子さんのイメージとオーバーラップ
してしまいます。


一人で生きて行こうと決意!

治子さんは自分が私生児であることから、普通の人
としてお嫁に行き家庭を持つ事は出来ないと信じ込み、
一人で生きて行こうと決意します。


しかし、夢を追い求めて、、、

そんな治子さんですが、過去に2度結婚されています。

最初の結婚は1953年に劇作家の加藤道夫さん(のちに自殺)、
そして1958年に俳優の高橋昌也さんと再婚しています。


普通の結婚、普通の家族を心のどこかで追い求めていた
加藤治子さんでしたが、現実は非情でした。


ジブリ作品にも

加藤さんの活躍は女優として映画や舞台、テレビドラマは
もちろんですが、晩年はジブリ作品にも声優として演じられ
ました。


「魔女の宅急便」では孫の為にパイを焼く老婦人を、
「ハウルの動く城」では魔法学校の校長、マダム・サリマンを
演じました。

しかし、私にとって加藤さんと言えば、やはりTVドラマ
寺内貫太郎一家」の母親役が一番好きでした。


どこまでも優しく包容力があって、それでいて芯が一本
通っていて、あの頑固親父の貫太郎でさえ「母さん」には
頭が上がらない凛とした内面の強さを感じさせたのです。


もし、加藤さんに息子がいたら、その息子に私が生まれ
代わりたいと心底思います。


あらためて今思えば、加藤治子さんが追い求めた女性らしさ
とは、自身のお母さんの影をお手本にしていたのかも知れません。


また一人、偉大な女優がこの世を去りました。


加藤さんのご冥福をお祈り申し上げます。


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